裁判 | 王が司宰する王宮裁判所、長老や官吏達が裁判を委任された地方 裁判所があり控訴も行われていた。 |
債権 | 基本的には個人間で発生した物品の未清算貸し借りが全て債務と みなされ各種の債務契約書が作成された。 返済されない場合利息や抵当などが使われた。 飢饉や戦乱に際して度々個人債務の帳消しや滞納税の免責を認める 徳政令が布告されている。 |
ザババ | 闘いの神、バビロニア北部のキシュの都市神。アナトリアではハッティの神 ウルンカッテ(大地の王)と同一視される。アナトリアの各地で広く信仰され とくにネリク、アルジャ、イラヤなどに重要な祭祀の中心があった。 また都ハットウシャにもザババの神殿があり春の例大祭アン・タフ・シェム祭の 一部もここで行われている。 闘いの神として王の遠征を守護し、また、条約などの誓約の神としても機能する。 |
ザルバ | 紀元前2千年紀前半から中頃にかけてシリア北部に栄えた都市、または地方名。 バリフ川上流の現在のビレジク近郊にあったと考えられている。 アッシュルやマリ、エマル、アララハなどからアナトリア内陸部へいたる交易路上の重要な 宿場として繁栄しアッシリア商人のカームルも設営されていたことが知られている。 ハットゥシリ1世のシリア遠征時にヒッタイトによって征服された。 アナトリア半島の黒海沿岸に位置したとされる都市、または地方名。 現在のバフラ近郊であったとされる。 紀元前2千年紀初期のアッシリア商人の記録には交易相手国の一つとして 登場する。 アニッタ文書によればウフナ、フジヤなどの王のもとで独立を維持していたとされる。 ハットゥシリ1世のシリア遠征を受けてヒッタイト領となるが、やがてカシュガ族の勢力下 にはいる。古いハッティ族の祭儀の中心地のひとつとして知られている。 |
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シアンヌ | ウガリット南方の都市。テル・シャヌに同定される。 紀元前14-13世紀のシヤンヌ、連合王国を形成するウシュナトゥとともにウガリットの 属国であったが、ヒッタイトのムルシリ2世によってカルケミシュの支配下に編入された。 カルカルに闘いでは反アッシリア同盟に参加。 |
シャリ・クシュフ | カルケミシュの王 前14世紀後半 ヒッタイト王シュッピルリウマ1世の子 父王のカルケミシュ征服の後、シリア支配の 要として父王に任命されヒッタイト系王朝を 開くことになった。 その名はフリ語で『月神クシュフは神々の王で ある』を意味するが、よりヒッタイト風な別名 ピヤッシリでも呼ばれた。 |
シャフルヌワ | カルケミシュ王 前14世紀末〜13世紀前半 カルケミシュの王、シャリ・クシュフの子 イニ・テシュプの父。 父王の急死後、ヒッタイト王ムルシリ2世によって 任命されシリア経営にあたった。 |
ジプランダ | 古ヒッタイト時代以来、ヒッタイトの最も重要な 宗教都市のひとつ。 新王国時代には主にと表記される。 都ハットウシャから比較的近距離に有り (正確な位置は不明)、 アリンナと並ぶ中央アナトリアのハッティ系の 宗教祭祀の中心地。 ジプランダの主神は地域の天候神で ヒッタイトの最高神である、 天候神とアリンナの太陽女神 (あるいは地域の太陽女神)の 息子とされている。 天候神や他の太陽女神の神殿、また王宮がおかれ、 春の*アン・タフ・シェム祭、 秋の*ヌンタリヤシュハ祭など ヒッタイトの主要な祭礼でもジプランダは 重要な位置を占める。 近郊の山ダハは神格化されジプランダの祭儀で 中心的な役割を担った。 |
ジダンダ1世 | ハンティリ1世とともに、ムルシリ1世の暗殺に参画。 ハンティリ1世に続いて王位に就く。 後に子のアンムナに殺害される。 治世はごく短期間であったと思われる。 |
ジダンダ2世 | ハンティリ2世とフジヤ2世の間に位置する。 ジダンダ2世の王印の捺された贈与文書のほか キッズワトナ王、ピリヤとの条約文書がしられている。 |
シェハ川国 | 小アジア西部のマエアンデル川流域を占めていた勢力。文献初出はヒッタイト王、 トゥトハリヤ2世の年代記。 王国の混乱に乗じてアルザワやハパラ等の反対勢力とともに 反乱に加わった為に、同王によるシェハ川国への遠征が記述されている。 そののち、ムルシリ2世のアルザワ平定後ハパラやミラとともに 同国の王マナパ・タルフンタはムルシリ2世と友好条約を締結して ヒッタイトの配下となる。 |
死者儀礼 | ヒッタイトでは供養されない死者の霊は生者に災厄をもたらすと信じられ、死霊には 定期的な飲食が供せられた。 |
侍獣 | 神の図像に伴って描かれる特定の動物の総称。 神の神格を特定する手がかりとなる。 侍獣は神の足許にたたずむ姿で表されるが、神に踏みつけられたり、 神が侍獣の上に立つ姿でも表現される。 侍獣には実在する動物と二種類以上の動物を合成させた 怪物とがある。 代表的な例として・・ メソポタミアではイシュタルのライオン マルドゥクのムシュフッシュ(竜神) アダドの牡牛、グラの犬などがあげられ シリアでは カデシュのライオンなどが知られる。 神話に語られるエピソードで結びついたものや 侍獣が神格の一面を体現すると考えられる場合 あるいは軍事遠征で征服された土地の守護神の侍獣であった動物が 新たに征服した側の神の侍獣として取り込まれる場合があった。 |
シャウシュガ | フリ系の愛と戦争の女神。ウル第3王朝時代にシャウシャとして知られるが、 やがてシャウシュガという形が一般化する。 アッシリアなどでイシュタルと融合しイシュタルを表す表語文字で しばしば表記された。 重要な祭祀の中心地はニネヴェでアッシリアやアラブハなど 東フリ文化圏(ミタンニ含む)では最高女神の地位を占めた。 西方ではキッズワトナにおける様にヘパトにその地位を奪われることがあったものの 最高神テシュブの姉妹の地位を保った。 シリア北部ではイシュハラ女神やアシュタルトと同一視されることがあった。 アナトリアでは通常ニナッタとクリッタの両侍女神を従え、ヤズルカヤにおけるように 男性的側面が強調され、ピリンキル神をその顕原形の一つとしてもつ、 クマルビ神話群でもテシュブに近い形で登場する。 |
シャウシュガムワ | 紀元前13世紀後葉のアムルの王ペンテシナの子。 ヒッタイト王トゥトハリヤ4世の妹を妃とし、彼と宗教権条約を結んだ。 一時、ウガリットと対立。アムル王国滅亡時の王と推定される。 |
シャムハ | ヒッタイト王国時代の「上方の国」の首都 赤い河の上流にあったとされる。正確な位置はまだ不明。 古王国のテリピヌの治世にすでに倉庫がありシュッピルリウマ王はここに王宮を 構えてカシュガとの戦いの拠点とした。 宗教的にも重要でムルシリ2世は「夜の神」の像をキッズワトナからここに移した。 ここでは太陽神やイシュタルの祭式も行われた。 イシュタルはハットゥシリ3世の守護神でもあった。 |
シャルマ | フリ系の神で天候神テシュプとその妻ヘパトの息子。 シャルマンニとアランズンニの父。もとはシリアの境界近くで 雄牛の姿をした山の神として崇拝された。 ヒッタイトではテシュプの子牛となる。 ヤズルカヤでは豹の上に立つシャルマの像がヘパトの後ろに表されている。 シャルマとヘパトはヒッタイトでは一緒に祭られる事が多いが、 故郷では独立して崇められた。 プドゥ・ヘバの夢に現れたとされ、またトゥトハリヤ4世の守護神でもあった。 |
呪術 | ヒッタイトの呪術の役割はきわめて大きく、多数の呪術儀礼をはじめ、法典、神話、 祈祷など各種の文書に広くその用例を見出すことができる。 呪術は罪穢れ、厄災や疾病を除く(または予防)あるいは禍や害をもたらす効果が あると信じられていた。 主に呪的所作とそれに伴う呪文からなり、その具体的な手法は多岐にわたる。 呪術師としては特に「老女」という女性祭司が重要な位置を占める。 |
出産の神 | アナトリアでは豹を従えた女神像などが出産と関連付けられ、ヒッタイトの時代には ハンナハンナやクババが代表的な出産の女神。もしくは母神であった。 |
シュナシュラ | キッズワトナ最期の王。アララハ出土の文書によれば、アラハハのニクネバ、ミタンニの サウシュタタル、トゥニプのイル・テシュプ、ウガリットのイビラと同時代。 ヒッタイト「中王国」時代のトゥトハリヤ1世(もしくは2世)と条約を結んだ。 ポアズキョイ出土のイシュハラ神祭式文書にもこの王の名が現れ、この王以前に タルズという名の王がいたことも知られている。 シュナシュラの後、キッズワトナはヒッタイトに併合された。 |
浄化儀礼 | 罪穢れを浄化し災厄を除去することは、ヒッタイトの呪術儀礼の主要な部分をなして いる。罪穢れは個人だけでなく軍隊あるいは家や神殿、町もその対象となる。 罪穢れは実体あるものとして捉えられ、その浄化には河や泉の水による浄化をはじめ 「模倣呪術」や「接触呪術」の原則に基づいた様々な方法が用いられる。 浄化儀礼の最期には罪穢れに感染したもの(代替物など)を土中に埋めるなどして 罪穢れが再び害をおよばさぬよう処置される。 |
城塞 | 城壁に囲まれた軍事的な構えのうち、都市の一角を占めて一段と防備を強くした 造りと都市から離れて戦略的な目的で築造される出城のような施設とがある。 ハットウシャのようなヒッタイトの都市では王宮を設ける区画が半ば市域から独立して しばしば城塞化される。 |
娼婦 | 娼婦の守護神は性愛を司る神イシュタルとされ、イシュタル自身も 宗教文書のなかで娼婦と称されることがある。 文献のなかには、イシュタルに仕える娼婦や、娼婦として イシュタルに捧げられた少女の記述などもある。 養女として引き取って育てた少女を後に娼婦とし、その収入を 老後のあてにした誓約書や独身の娼婦は自らの 老後の為に子供を産んでも良いとされた。 イシュタルの祭儀として行われる聖婚では神殿に仕える女司祭が イナンナ、イシュタルの役を演じたとされる。 その祭儀をヘロドトスは、バビロンには女性が生涯に一度は、イシュタル神殿で 見知らぬ男に身を売る「聖婚」の制度があったと思ったらしい。 |
条約 | 国家間、或いは国家を一方の当事者として、合意された国際的な契約とその文書。 通常、王たちの間で締結され神々を承認とする誓約の形をとる。 紀元前2千年紀で多く出土している条約文書には、ヒッタイトを一方の当事者と するものが多い。 前1千年紀前半ではアッシリアが一方の当事国とするものなどがある。 条約の具体的な内容はそれぞれによって異なるが、条約の類型は当時国間の関係に 従って二つに大別される。 第1の対等条約は互いの王を「兄弟」と呼ぶ対等な立場で結ばれた条約で 友好ないし同盟を目的として双方が同様の義務を負う点を特徴としている。 その代表はカデシュの戦いの後、ヒッタイト王ハットゥシリ3世とエジプト王ラムセス2世の間で 結ばれた平和条約で、両国の領土不可侵、軍事協力、王朝の維持、亡命者の送還を 相互に定めている。 もう一つの宗主権条約は 宗主国と属国の間に結ばれた条約で両国間の支配、従属関係を定める。 ヒッタイトの条約の多くに見られるように、宗主国による保護と引き換えに 属国は貢納や亡命者の送還など片務的な義務を負う点を特徴とする。 |
書簡 | 書簡には支配者とその臣下との間に交わされた私的書簡があった。 書簡の文言は書記に口述筆記させ、受取人は書簡を書記に読み上げさせるのが一般的。 前2千年紀後半ではエジプトのアマルナで出土した外交書簡がある。 これによって、当時のバビロニア、アッシリア、ヒッタイト、ミタンニ、エジプトが 贈物の交換や、政略結婚によって勢力の均衡を図っていたことがわかった。 |
新ヒッタイト | ヒッタイト王国滅亡後(紀元前1200年頃)に、タウルス山脈を越えて 小アジア南東地域から シリア北部、ユーフラテス川上流域にかけてルゥイ系民族による いくつもの都市国家が建てられ 前700年頃まで存続した。この時期を新ヒッタイト時代、またはルゥイ系民族による 都市国家群を新ヒッタイト国家と呼ぶ。 同地域からはヒッタイト王国時代より使用されていたヒッタイト象形文字による多くの 石碑文が発見されている。 これらの国家群のなかでは特にカルケミシュ、メリド、カラテペ、クムフや タバル地方の諸国が勢力を持っていた。 これらの国の王のなかには、ヒッタイト王国時代の王、シュッピルリウマ、ムワタリ、ハットゥシリ、 ラバルナなどに因んだ王名を名乗ってヒッタイト王国の末裔であることを誇示した。 旧約聖書に見られる『ヘテ人の王たち』はこれらの王を指す。 またアッシリア文書ではこの地域はハッティの地と呼ばれた。 同地域で隆盛を極めたオーソスタットやその浮き彫りの造形美術などにはヒッタイト王国時代 からの影響と同時に周辺諸国の新アッシリアやアラムの影響が色濃く残されている。 このような新旧混合的なこの時代の文化を新ヒッタイト文化と呼ぶ。 |
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錫 | 錫は青銅を作るのに不可欠な金属として古くから重要であった。 アナトリアのキュルテペ(古代名カネシュ)から出土したキュルテペ文書によれば 前3千年期末から前2千年期始めにかけてアッシリア商人が、 アッシュルから錫や高級毛織物をアナトリアまで 運搬し販売していたことがわかっている。 錫はアフガニスタン産である可能性が強いとされている。 アッシリア商人たちの商業活動が衰退した後は、 これまでとは逆にアナトリア産の錫が メソポタミアに流入する。 エジプト新王国18王朝時代の錫製品の分析では 、アナトリア南部のタウルス産の 錫が使用されていたことが判明している。 |
スタンプ印章 | 最初に登場したのが捺す形式のスタンプ印章で、 石製で印面に刻文を持ち、紐通しがある。 円筒印章の登場以降、スタンプ印章は劣勢となるが、ヒッタイト王国では基本的に スタンプ印章が存続していた。 鉄器時代になり粘土に楔形文字がかかれなくなると、円筒印章は使われなくなり、 エジプトのスカラベなど再びスタンプ印章が復活して手紙などの封泥に用いられた。 |
ストゥ人 | アルム人の一派と考えられるセム系の部族集団。 ユーフラテス川西岸からパルミラに至る山脈やステップ地帯に分布して半遊牧生活を営む。 前14-前13世紀にはヒッタイト軍の戦士として重用された。 |
せ | |
聖婚 | シュメール世界の伝承によるとウルクの女神イナンナは恋多き肉体愛の女神で 恋人の一人は伝説化した王ドゥムジであった。 これを背景にウル第三王朝からイシン王朝時代にかけて高級女神官がイナンナを 国の王がドゥムジの役を演じ、実際に性的な交わりを含めt儀式が行われた。 学界では「聖婚」とし多産、豊穣を祈念する祭りとして捉えてきた。 だが、イナンナには母性的性格はなく、王の即位と関連する儀礼と言う別の 解釈も提示されている。 いずれにせよ、女神と王との結婚であり、神と人との結婚であった。 その地域の天候神と高級女神官の結婚祭儀の様子の記述や 主神と配偶神の婚儀の記述もある。 主神と配偶神の場合は、男女神の神像を寝所となる祭室に運び 閉じた扉のところで音楽を奏で象徴的に祭儀を執り行なった。 祭りの中で神像は複数の場所を移動し、王族の名による供物も捧げられた。 婚儀は年中行事に組み入れられ繰り返し執り行われたが、定期的に行うことが 重要であったらしい。 |
青銅器 | 主成分の銅に錫を加えた合金。青銅製品の総称。 銅に錫を加えると硬度が増し、融点を下げるなどの利点がある。 青銅器には道具、武具、装身具、容器、神像など様々なものがある。 成形、仕上げ、装飾には鍛造、焼鈍し、鋳造、薄辺金属板加工、打ち出し、押し型、 彫刻、線状細工、粒立て細工、などの技術が使われているほか、はんだ付けや、リベット止め などの接合技術も使われた。 鋳造は4千年前頃には開始され開放鋳型、密閉鋳型、失?方などが知られた。 |
精霊 | メソポタミアの精霊は人間と動物の部分を合成した姿をもつが、角冠や服装によって 神的領域に属することが示される。 神々の従者として補助的な役割を担う。人間にとって良いか悪いかは必ずしも一定せず しばしば怪物や悪魔と同じ起源を持つ。古くから存在する例としては、 とりなしの守護霊ラマ、門番の一対のラハムや牛人間、蠍人間など。 新アッシリア時代には有翼人面の雄牛、またはライオンの巨大な像が大建造物の門番として 入り口の両側に据えられた。 一対の牛人間、蠍人間などは太陽神シャマシュのシンボルである有翼日輪を 支える役割を担った。 バビロニア伝承によって洪水以前の七賢人に属する存在とされる。 建築儀礼の一環として 除災や招福を目的として七賢人、ラハム、牛人間などの小像が建造物の基層に 埋められた。 像には『悪い精霊よ、出て行け!善い精霊よ、入れ!』などと書かれた。 ヒッタイトではイナラがラマッスにあたると推測されている。 |
戦車 | 輻式二輪で戦闘狩猟用として特化した馬車が古代戦車として完成した形。 武器は弓矢が主となり乗員は立って乗り、鎧も出現した。 戦車は馬利用と木材、金属、皮革の異種材料を組み合わせた製品であり それを組織的に運用することによってのみ有効となる武器で、人類初の複雑な道具である。 |
染料 | 動、植物、鉱物の天然色素で繊維と親和性のあるものを用いる色づけ材料。 赤は最も古く広い地域に及んでいる。その染料はケルメスという樫やある種の草につく 貝殻虫が有名。 植物では茜、ヘナ、アルカンナ、ベニバナがある。 褐色は赭土、葉や樹皮のタンニンによる原始的な染や五倍子によって得られる。 黄色染料はサフラン、鬱金、ざくろ 青色染色は藍やウォードで空気酸化により発色する。 紫は地中海東岸に生息する貝のパープル腺によるもので多くの新鮮な貝を必要とし 従って最も重要なものとされる。 そのため藍と茜やケルメスを合わせて紫とするものが多い。 染色を堅牢なものとするために媒染剤が用いられている。 |
そ | |
宗主権条約 | 宗主国と属国の間に結ばれた条約で両国間の支配、従属関係を定める。 ヒッタイトの条約の多くに見られるように、宗主国による保護と引き換えに 属国は貢納や戦争時の兵力派遣、王朝の維持、亡命者の送還、属国間の戦争禁止 など片務的な義務を負う点を特徴とする。 基本的に @前文A両国間の過去の関係を回顧した歴史的序文、B条文 C文書の保管場所と定期的朗読の規定D証人となる両国の神々のリスト E呪と祝福という構成を持つ。 |
葬祭儀礼 | 王の死霊は冥界から天界の神々の元へ赴くと信じられていたヒッタイトには 火葬を示唆する独特の王の葬祭儀礼文書が残されている。 |